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事故に会ったのです。
遭ったわけで無いので体は無傷でしたのです。
しかし参ったのです。
奈々サマの最新キャラソンを買ってしあわせるんるんで歩くボク。
そのとき「メキッ。」という音が背後からして振り返ると車がそば(5〜7メートル位先)で横転してまして。
屋根まで道脇の何かに当たって凹んでました。
本当に偶然ですが第一発見者レベルの早さで見ました。
で、ボクの個人的な事件はこの後です。
音を聞きつけた周りの家やら店やらのおじさま、おばさま達が横転した車から中にいた方を助けようとしたわけです。
それを見てたボクは当然手伝いに行こうと数歩、歩いたところで。
「もし中の人がヒドい状態だったらそれを見たら確実に大変なトラウマになる。」
と、物凄い冷静に判断して。
救出してたおじさまの「中の人は大丈夫だっ!」って声がするまで結局近づけず終い。
…事故には一切の恐怖も動揺もせずただ冷静に自己保身に走ったわけです。
ここが問題だったのです、この行為がどうだったのか?という話です。
そりゃ最初は「ボクはダメなヤツ…はぁ。」ってなりましたが。
よく考えてみればダメなヤツなのは昔からで今更どうこうってのでは無いと思ったのです。
かつて習った道徳の授業。その教科書なら、事故に会った少年は助けに行くでしょう。または迷って後悔して、教室で先生に「助けに行くべきでしたね。」って教わるでしょう。
そんな教育を受けた影響もあってか最初ボクは凹んだわけです。たぶん。
性善説ってのは今回別問題にしてね。
しかし、ですよ。
その「道徳」に従って生きて救出に向かい、自ら心に深手を負うってのも…。
うーん。うまく言えない。ただの言い訳臭くなってるような気もするし。ここらが潮時。
ただ自己と社会の価値観の葛藤のような疑問。
はたまたなぜボクは事故現場において冷製だったのかという疑問。
事故現場の血を流した運転手や車を、端からただビデオ撮ってるおっさんに対する疑問。
助けに行く人がいるあたりに心が少し温かくなること。
ドライバーさんの怪我の回復を願うこと。
なんかいろいろよくわかりません。
触れてはいけない所かな。
なんだかんだミニミニミクロよーちえん聞きながら考えてます。
こんな時だけは天才になりたいですね。
…!!
ゲスト、ゴトゥーザ様!!
この組み合わせ…w
カネトモ・ムラコ…。
うはっ、しあわせぇ。
あれ?今まで何か考えてたような…。
む。回復、回復。
代は満足。
この前習った「満足した豚より(ry」の満足した方がボクなわけか。
体験学習。